東京家庭裁判所 昭和40年(家)4470号 審判 1966年9月08日
申立人 岡田サキエ(仮名)
相手方 岡田雄吉(仮名) 外二名
主文
一、被相続人岡田弥一郎の遺産たる別紙目録記載の土地家屋と医療機械一式ならびに電話加入権はこれをすべて相手方岡田雄吉の単独取得とする。
二、相手方岡田雄吉は前項記載のとおり遺産を単独取得する代償として、(1)申立人岡田サキエに対し金三七九万六、六六六円、(2)相手方森ナツコ同足利トシ子に対し各自金六三万二、七七八円をそれぞれ支払え。
三、相手方岡田雄吉の申立人岡田サキエに対する前項の金額の支払については、昭和四一年一二月末日金一五〇万円を、残額金二二九万六、六六六円は、これを三年年賦とし、昭和四二年から昭和四四年まで毎年一二月末日右金額の三分の一づつを支払え。
相手方岡田雄吉は右支払を了した後に相手方森ナツコ、同足利トシ子に対する支払をせよ。
四、申立人岡田サキエは相手方岡田雄吉に対し、同相手方の申立人に対する前項の一五〇万円及び第一回の年賦金の支払と引換えに、別紙目録記載(b)の建物につき申立人の占有する部分(別紙添付図面斜線部分)より退去してこれの明渡しをせよ。
五、審判費用のうち鑑定人に支給した鑑定料(金一万二、〇〇〇円)にかぎり、各当事者の法定相続分の割合により負担すべきものとし、その余は各自平等の割合による負担とする。
理由
(事件の経緯)
申立人の違産分割調停申立に基づき、当裁判所調停委員会は昭和三八年一〇月一四日を第一回期日とし、昭和四〇年四月一六日まで、一七回にわたり調停を試みたが遂いに合意に到達せず調停は不成立となり、同時に、本件申立は審判に移行した。
(当事者の主張)
一、申立の要旨、及び申立人の主張
(一) 被相続人岡田弥一郎が昭和三八年一月二〇日死亡して相続が開始し、直系卑属がないので、被相続人の妻である申立人と、被相続人の弟である相手方岡田雄吉、妹である相手方森ナツコ、同足利トシ子が被相続人の遺産を相続した。遺産は別紙目録記載(a)(b)の不動産ほか(c)電話加入権並びに(d)医療機械一式である。
(二) 申立人は昭和一七年一〇月被相続人と結婚以来被相続人がパーキンソン氏病にかかり病臥して医師としての業務を続け得なくなった昭和三六年三月頃までの約二〇年間、看護婦としての仕事及び調剤の仕事一切を行ない、本件遺産である(a)(b)の不動産の入手のための資金も申立人の実質的協力によりはじめて作り得たもので、ことに被相続人死亡後の土地代金年賦支払金(次項参照)も申立人において支払ったものであるから、申立人は本件遺産について特別の寄与をなしたものとして、遺産分割にあたり考慮さるべきものである。
(三) 被相続人が、別紙目録記載(a)の土地を購入した際相手方足利から金員の融通を受けたことは認める。右土地は国(大蔵省)より払下げを受けたもので、その代金は一部即納残部は年賦の約であったが即納金五万五、五八〇円及び保証金二万八、〇〇〇円であった。これらの払下に要する即納金及び年賦金を、昭和三三年一二月二〇日までの間に合計一八万九、一〇〇円をかつて被相続人が生活を援助したこともある相手方足利から借り受け、被相続人は同人に昭和三四年三月頃まで四回に分けて金九万五、五〇〇円を返済した。残債務については、右四回目の弁済の際足利孝より、残債務の支払を免除する旨意思表示があり、残りの借用証は被相続人に返されたものであるから、被相続人が(a)の土地につき所有権を取得したもので相手方足利が、(a)の土地の所有権を有するいわれはない。
(四) なお同目録(b)の家屋に、相手方岡田雄吉がその家族とともに昭和三四年頃被相続人及び申立人と同居し、引続き、相手方家族が今日まで居住している事実は認めるが、それは、被相続人は医師であって昭和八年以来(b)の家屋において医院を開業していたが、昭和二八年三月以来パーキンソン氏病にかかり身体の不自由を感ずるようになったが、相手方岡田雄吉の妻光子が医師であったところから、同人の家族を招き、被相続人の医院の仕事を手伝わせるようになり、昭和三六年三月被相続人の身体がいよいよ不自由になったので、岡田光子に被相続人が回復するまでの約で医院の運営を委託し、両人が、被相続人の生活費として同人に毎月金二万五、〇〇〇円を支払う旨約したが、被相続人は回復することなく死亡したので、右岡田光子との契約は被相続人の死亡により目的を達して当然消滅したものであるから、同人及び相手方岡田雄吉は右家屋を占有する何らの権限もないにかかわらず、依然家屋の一部を占拠しているものである。
二、相手方らの主張
(一) 別紙目録(a)の土地は昭和三二年三月頃被相続人が大蔵省より払下げを受けることになったが、相手方足利はそれ以前より、被相続人の生活費を援助していた位で、被相続人には頭金の用意もなかったので、相手方足利が昭和三二年三月二三日金一五万五、五八〇円を支払ったほか、昭和三二年一二月三〇日以降昭和三六年六月迄第一回から第五回分の分割金及び延滞利息金まで総計金三二万五、〇〇五円に達する金員を支払った。従って、(a)の土地は相手方足利の所有に属し、かりにその全部が相手方足利の所有でないとしても買受総価額金四六万円のうち金三二万五、〇〇五円の割合に応ずる所有権を有するものである。所有名義については、被相続人が、払下上地の賃借人であったため、被相続人を形式上払下を受ける名義人とせざるを得ない関係上、登記簿上は被相続人に所有権取得登記がなされたが、実質的買受人は相手方足利であるところから、被相続人との間に、相手方足利に所有権移転登記なをすべき旨の合意があったが、相手方足利に名義変更するときは多額の課税が予想されたので、被相続人名義のままにとどめておいたに過ぎない。また右払下代金について相手方足利は被相続人より弁済を受けておらず、被相続人、もしくは申立人が支払った金員は、相手方所有土地の地代に相当するものである。かりに所有権が相手方足利に認められないとしても、相手方足利の貸付金は、被相続人の債務として遺産より控除さるべきである。さらに、右払下代金以外に、相手方足利は被相続人の病状が悪化してから語学の内職によって大きな収入をはかり、昭和三〇年四月頃から昭和三六年三月までの六年間月額金一万五、〇〇〇円を下らない金額、従って総額約一〇八万円を下らない金額を被相続人の一家の生活費として貸付けしているから、被相続人の債務としてまず遺産より控除さるべきものである。
(二) 相手方岡田雄吉は同目録(b)の家屋について、賃借権ないし家族使用権を有する。
昭和三四年三月頃被相続人の要請により、当時長野県上田市において事業を経営していた相手方岡田雄吉は自己の経営する会社を閉鎖し、相手方の妻は○○診療所に勤務していたのにこれを退職し、一家上京して、被相続人が病身のため休養の状態にあった医院を相手方の妻と、被相続人の共同経営とするとともに相手方らの家族が(b)の建物に同居し、相手方が被相続人の生計の維持に協力する旨の約束が成立し、ついで、昭和三六年三月右約旨を変更し、医院の経営を相手方妻の単独経営とすること、相手方は(b)の建物(二階西側六畳を除き)に居住しこれを使用する対価としてまた被相続人の医療費、生計費を含め毎月金二万五、〇〇〇円を被相続人に支払う旨の約が、被相続人との間に成立した。かくて、相手方は(b)の建物につき昭和三四年三月以降、仮りに一歩譲っても昭和三六年三月以降、相当額の賃料で期間の定めのない賃借権を有するものである。
(当裁判所の判断)
一、相続人とその相続分
本件記録中の戸籍謄本、除籍謄本の各記載及び当裁判所の事実調査の結果によると、被相続人岡田弥一郎は昭和三八年一月二〇日死亡し、相続が開始したこと、申立人サキエが被相続人妻として、相手方雄吉、同森、同足利がそれぞれ被相続人の弟妹として、亡弥一郎の共同相続人であることが認められ、右被相続人との身分関係に民法所定の相続分の割合を適用すると、各相続人の相続分は、申立人が三分の二、相手方らがそれぞれ九分の一であることは計数上明らかなところである。
二、遺産の範囲と使用状況
(一) 本件記録中の登記簿謄本及び当裁判所の事実調査、並びに申立人、相手方雄吉、同足利各本人審問の結果によれば別紙目録記載(a)の土地は昭和二二年六月二日当時の所有者関谷政雄より財産上の物納により国(大蔵省)にその所有権が移転し、昭和三二年三月二八日払下により被相続人が所有権を取得したとして、同年五月二八日受付第六三四六号を以って被相続人に所有権移転登記手続がなされるとともに、同日国のために払下代金の一部債権額金二一万七、〇〇〇円について、不動産売買の先取特権の登記がなされていること、同目録(b)の建物は被相続人が昭和八年頃当時の所有者から借り受けて医院を開業していたところ、被相続人は昭和二四年三月一一日所有者谷村治雄より買受けてその所有権を取得し、その旨の登記手続がなされていること被相続人が同目録記載(d)の医療機械一式を所有していたこと、同記載(c)の電話加入権を有したことが認められ、(b)の建物が遺産の範囲に属することについては当事者間にも争いがないので、(b)の建物が遺産であることをまず確定する。目録(d)の医療機械一式及び同(c)の電話加入権についても同様である。
(二) 右(a)の上地が遺産の範囲に属するかどうかについて当事者間に争いがあるから調べてみる。
(1) 国有財産売買契約書(甲第八号証)大蔵省物納不動産等売払仲立業者○○建設株式会社発行の預り証(甲第九号証の一、二、関東財務局発行の領収書(甲第一〇号証の一、二、同第一一号証乃至第一八号証)によると、被相続人が昭和三二年二月五日同人名義で大蔵省との間に当時国有財産であった(a)の土地につき、代金二七万二、五八〇円、最初の納付金五万五、五八〇円、残金は昭和四一年一二月三一日までの一〇年年賦で毎年末に二万二、〇〇〇円(最後は一万九、〇〇〇円)と年八分の利息を支払う、保証金は二万八、〇〇〇円とし、先取特権保存登記後保証金は返還する旨の約旨で売買契約を締結し、同人名義で最初の納付金及び年賦金の納付がなされていること、右契約と同時に被相続人が(b)の建物を取得した年である昭和二四年一二月二四日から即納金納付の前日までの土地の賃借料を国に支払うべき旨を約し、被相続人は昭和三二年二月一六日金一万九、五六〇円、同年五月一六日金六、八四〇円の賃料を大蔵省に納付したことが認められる。
(2) (a)の土地の所有権取得登記が被相続人名義でなされていることは前記認定のとおりである。
(3) いわゆる普通財産たる国有財産については、国有財産法第二九条ないし第三一条により処分が認められているが、予算決算及び会計令第二九条の三、二二号に、国が国有財産を縁故者に売却処分するときは、随意契約による旨の規定があり、また、国有財産法第二九条但書同法施行令第一六条の二、五号によると、国が、縁故者に国有財産を処分するときは条件もゆるやかになっており、代金についても延納の方法が定められている。しかも右の縁故者とは不動産の賃借人その他の使用者を指すものと解される(塚本孝次郎編国有財産法精解参照)ところ前掲各資料によると被相続人のみが、(a)の上地については国から売渡を受ける資格を有するものであったことが認められる。
以上の事実を総合すると、被相続人が(a)の土地の所有権を国との売渡契約により、単に名義上のみならず、実質的にも取得したものと解釈せざるを得ない。
(三) 相手方足利は(a)の土地の売受の費用を同人が出資しているから、その所有権は実質的には同足利に属する旨主張するけれども、前記認定のとおり同足利は国との間の契約の当事者ではない以上、被相続人から譲渡を受けないかぎり(a)の土地の所有権を取得するはずもないが、(a)の土地について被相続人と相手方足利との間に(a)の土地につき譲渡契約が結ばれた事実を認めることのできる証拠がない以上右主張は採用できない。
もっとも、被相続人の作成した領収書(甲第一号証ないし第六号証)並びに申立人、相手方足利、各本人審問の結果によると、(a)の土地買受の頃は被相続人の病気も少しずつ進行したため収入も減少し、貯えもなかったために、その土地の買受に要する費用一切合計金一八万九、一〇〇円を昭和三一年一二月三日から昭和三三年一二月一〇日までの間に七、八回にわたり必要の都度相手方足利が夫から出して貰ってこれを被相続人に交付し、被相続人はいちいち借用証を差入れてこの返済を約し、その後右金員は被相続人死亡の頃までの間に四回位にわけて約二分の一は弁済されたことが認められるから、右金員の交付の都度弁済期の定めのない消費貸借契約が相手方足利と被相続人との間に成立したものと解すべきである。然るときは、相手方足利は被相続人に対し右買受の資金を出したことについて、貸金債権を有するのは当然としても(a)の土地について、所有権の一部たりとも取得するいわれがない。この点の主張は理由がないことは明らかである。
また、被相続人の相手方足利に対する債務は純然たる金銭債務と解すべく、相続開始により各相続人らに承諾されており、元来純然たる金銭債権の請求は調停手続のうちならば格別遺産分割の手続内で清算し得ないと解すべきである。
(四) つぎに相手方岡田雄吉が(b)の建物を使用する権限を有するかどうかについて争いがあるから判断する。
(1) 申立人及び相手方岡田雄吉各本人審問の結果並びに検証の結果によると、(b)の建物は(a)の土地上いっぱいに建築され(b)の建物中現に申立人が階下四畳半及び二階六畳(別紙添付図面一のA及び同二のBの各斜線部分)を使用し、相手方岡田雄吉がその余の部分(同図面一、二白地部分)を使用していることが認められる。
(2) 証人島山義治、同森清二郎、同岡田光子の各証言、申立人及び相手方雄吉の陳述を総合すると被相続人はパーキンソン氏病で死亡したものであるが、被相続人の病気は昭和二八年頃より少しずつ徴候があらわれ、昭和三四年二月頃麻痺があり、その後自身治療を続けながら、診療にも僅かづつ従事していたが、昭和三五年七月頃には病勢がいよいよ進み、診療に従事することも困難となり昭和三六年三月頃には歩行困難で診療に従事することは不可能の状態になり、その後病勢は一進一退を続け、昭和三七年一〇月二四日には済生会病院に入院するに至った。被相続人の発病が顕著になった昭和三四年三月頃、相手方岡田雄吉の妻光子が医師であったところから、被相続人は当時長野県の上田市に住んでいた相手方岡田雄吉の家族を呼びよせ、(b)の建物に同居して、被相続人の医院を岡田光子に手伝って貰うようになって暫く過したが、被相続人の病勢の進んだ昭和三六年三月頃島山、森氏の仲立により被相続人夫婦と岡田光子との間に医院は全部岡田光子名義で経営することとし、岡田光子は被相続人の医療費、生活費として毎月金二万五、〇〇〇円を支払う旨の約旨が成立し、爾後被相続人の死亡の時まで毎月金二万五、〇〇〇円を支払っていたことが認められる。従って、相手方雄吉は右協議の当事者であった証拠はないから、相手方雄吉が(b)の建物使用について独自に正当な権原を有するものとはいえない。
(3) ただ、右岡田光子が支払った毎月二万五、〇〇〇円の金額と、建物の使用とが対価関係にあるとすれば、(b)の建物については岡田光子が賃借権を有することになるからこの点が問題であるが、後述の如く、被相続人と相手方ら兄弟は互いに助けあう気持で強く結ばれており、前掲各証拠によると、岡田光子も相手方雄吉も被相続人らの生活を援助したいという好意から岡田光子が独立して医院を経営して右金額を支払うことに同意し、申立人が賃料領収書(乙第一号証)を持参したときには相手方雄吉が賃料と書いてあることさえ憤慨した位であったこと、被相続人の死後は申立人に対し右金員の支払いを全くやめていることが認められ以上の事実を総合すると、岡田光子の右金員の支払いは、医院経営の収入の一部を配分するという性質を有する反面、被相続人らの生活を援助するという性質を有したものと解せざるを得ず、(b)の建物の使用と対価関係にあったものとは認め難い。
以上のとおり、相手方雄吉が(b)の建物について賃借権を有する旨の主張は採用できない。
三、遺産の評価
鑑定人松本治の鑑定の結果(昭和三九年四月三日付鑑定書参照)によれば客観的な評価額は(a)の上地が金五〇七万円(b)の建物が五一万二、〇〇〇円であることが認められる。(d)の医療機械一式は検証の結果によると評価が不可能で、医院で使用されてこそ値打があっても、その他の者にとっては無価値に等しいものと認められるので、評価は零とする。
このように無価値のものは遺産分割の対象から除外さるべきではないかという疑問もあるが、できるかぎり当事者の遺産の分配についての紛争を解決するのが、遺産分割審判の目的であること及び医療機械も営業用資産の一種として、遺産分割の基準に照し、営業用不動産と不可分にその帰属を決すべき必要性のあること、等を考慮し、あえて遺産の分割の対象としたものである。東京電話取引業協同組合代表理事森川竹松作成の証明書(甲第二五号証)によると目録(c)の電話加入権の客観的価格は金一一万三、〇〇〇円であることが認められる。
したがって、本件遺産の評価額は総計五六九万五、〇〇〇円となる。
四、各相続人の職業、生活状況、遺産に対する寄与
(一) 当裁判所の事実調査及び申立人、相手方岡田雄吉、同足利トシ子各本人審問の結果を総合すると次の事実を認めることができる。
(1) 申立人と被相続人とは昭和一七年一二月二二日届出により結婚した夫婦であって、被相続人は医師として自宅で医院を開業していたので、申立人は医院の仕事を手伝ってきたが、被相続人が病床に臥すようになってからは専ら被相続人の看護に当ってきた。被相続人の死後別段の職業もないところから、近くの化粧品の下請工場で働き僅かな収入を得て細々と暮しており他に資産はない。
(2) 被相続人とその弟妹はアメリカ合衆国で生まれかつ教育も受けたものであるが在米当時から長兄である被相続人を中心に兄弟妹が一体となって互いに協け合う気持が濃く、被相続人がアメリカで医学を修めた後一家は日本に帰り、再び被相続人を一家の中心に考えて互いに協け合うという生活が続いていた。このような兄弟妹間の感情から被相続人が土地の払下代金が必要とあれは相手方足利がこれを調達してやり、病気が重くなり生活にも困るようになれば相手方足利もその都度アルバイトなどで収入をはかった上被相続人に屡々見舞金を贈っていた。被相続人の病気が重くなってから相手方岡田雄吉一家が長野県上田市を引払って上京し被相続人一家と同居し、上田市で会社の診療所に勤務していた岡田光子が診療所をやめて被相続人の医院を手伝うようになったのも右のような兄弟間の感情からしごく自然に行われた。ところが被相続人が死亡した後は新民法が妻の相続権を規定しているにかかわらず、右の兄弟間の一体感がわざわいし相手方雄吉は兄のものは当然弟が引きつぐとの考えを表明し、申立人を無視する態度を露骨にあらわすようになって申立人との間に紛争を生ずるようになったので、同居は今後難しい状態に立到っている。岡田光子がその後現在まで(b)の建物で医院を経営し、相手方岡田雄吉は飜訳により収入を得ているが、他に家も持たず生活は楽ではない。
(3) 相手方足利の夫は大学の教授で、相手方自身も英語教授により収入を得ており、多少の資産もあり余裕のある生活を送っている。
(4) 相手方森ナツコの夫は建業会社の重役をしており、住居もあり、生活の余裕は充分ある。
以上の事実が認められる。
(二) ところで、遺産に対する寄与分について考えると、申立人が法定相続分において考慮されていると考えられる通常妻としての協力以上にどれほどの労働により遺産に寄与したか、その労働の数量及びその労働に対する価額を算定すべき根拠について何らの資料がないから、申立人の寄与分についてはこれを算定することができない
また前項認定の相手方岡田の妻が昭和三六年三月以降被相続人が死亡するまで金二万五、〇〇〇円を被相続人に支払っていた事実については、同人は相続人でないからこれを遺産に対する寄与とみることはできないし、かりに相続人相手方雄吉が払ったものと解したとしても、相手方が相続開始後遺産分割に至るまで(b)の建物を何らの権限なく使用し、右使用による損害金も支払うことなく過ごしてきた事実に照すと、右の支払分を寄与分として算定することは遺産分割の基本原理たる衡平の原則に反するものといわざるを得ない。
相手方足利についても、貸金残額は別としてその余の金員はむしろ相手方の好意から出た無償の贈与とみるべく、従って、遺産分割に当って相続分に変更を生じさせる性質のものではないと解すべきである。
従って、本件遺産分割に当っては、共同相続人すべてについて寄与分は考慮しないものとする。
三、遺産の分割
前記認定の一切の事情を考慮して別紙目録記載(a)ないし(b)の遺産の一切を相手方雄吉の単独取得とし、相手方雄吉は遺産全部を取得する代償として、他の相続人に対し、遺産評価額に各自の法定相続分を乗じた金額を支払うべきものとする。然るときは相手方雄吉が申立人及び相手方森、相手方足利にそれぞれ支払うべき金額は主文掲記のとおりである。
右金額は、相手方雄吉と相手方森、同足利との間には格別の紛争もなく、別途に支払方法について協議が可能と思われるが、申立人と相手方雄吉との間での協議は、従来の経過に照し困難とみられ、しかも相手方雄吉にさして資産のないことその他諸般の事情を考慮すると、申立人に対する支払いについては、三年余りの分割支払の利益を認めるを相当とする。すなわち、相手方雄吉は申立人に対し昭和四一年一二月末日限り一五〇万円を、その後三年間に残余金額を三分し、毎年年末その三分の一を支払う旨の年賦を認めることとし、相手方森、同足利に対する支払はその後になすべきものとし、審判費用については、鑑定費用(金一万二、〇〇〇円)は各当事者が各々の相続分に応じて負担しその余は平等負担とする。
よって主文のとおり判断する。
(家事審判官 野田愛子)